切って貼った日々
以前、切り絵の制作に没頭した日々があった。
なにを求めるわけでもなく、なにを目指すわけでもなく。
ただひたすらに写真から図案を起こして切っては貼る日々。
完成品の出来の良し悪しと図柄の好みをなんとなく眺めてはファイルにとじる。
最近はなかなかそんな作業に没頭できるモードに入らなくて、切り絵制作からはほんの少し遠ざかっているけれど。
ふとした拍子に切り絵でもやろうかなと思うことがある。
思いつつもモードに入らず手が出ないのが現実なのだけれど。
で、どんなのを作っていたのかというと、こんなの。
在りし日のスティーヴ・ジョブズ。
対をなすように作ったのがこれ。
若き日のスティーヴ・ジョブズ。
台紙がカールしてしまっているので、うまく写真が撮れないがな・・・。
しかし、あらためて見ると、なかなかうまくできているじゃないか。
という自画自賛。
ほかにもまだまだあるので、また折を見てここに載せることにします。
今日の一枚 2017.5.26
今日の一枚。
ときには目に余るものだけが目に付くものだけれど。
それもまたしょうがないこと。
こうあるべきという自分の型はだれにでもあって、だれでもひとのことを自分の型にあてはめたくなるものだから。
ひとを自分の型にあてはめたくていろんな手を尽くすけれど、やっぱりひとはひとだから、自分だけの型には納めることができなくて、ひとはひとなりの型になってゆくものでしかなくて。
三角の型もあれば、四角い型もあって、それはどちらも互いに当てはまるものではなくて、なかなかうまくかみ合わなくて。
ただ、だれでもいずれさいごは角がとれてまるくなって元の型がどんなだったかさえわからなくなってしまう気がする。
そうなるまでにはずいぶんと時間が必要なのかもしれないけれど。
自分はこう、だから人もこうあるべき、と思えるのも今だけのことなのかもしれない。
<日本の神託カード 時を見守るまりも>
今日の一枚 2017.5.25
今日の一枚。
いつもなにかを考えていなければ気が済まない性質だから。
頭を空にしてしまえば楽になることもわかっているけれど。
それができないからこそ考えるのでは?
仮に考えに考え抜いた今がうまくいっているのならばそれもまたいいのでは?
考えに考え抜いてこそ得られるものもあるのだから。
考えてこそ安心できる性質でもあるのだから。
それでいいさ。
安心と不安は表裏一体。
<日本の神託カード 安心カエル>
今日の一枚 2017.5.24
今日の一枚。
自分自身との対話の時間だ。
何を求め、何を省くか、自分がなりたいのは何者か。
そろそろそんなことを考えてもよい時間なのではないだろうか。
夢中になってがむしゃらになって、そうやって過ぎ行く時間があってもいい。
しかし、いつも疲れ果てて帰ってくるべき場所は自分自身の一番深い場所だ。
そこでは嘘をつけないし、嘘というものそのものがない。
そこでなにを求め、何を得るか、それは自分で決めることだ。
さて、何になりたい?
<日本の神様カード >
今日の一枚 2017.5.23
今日の一枚。
答えはいつも最初に提示されているものでしょう?
そしてそれはいつも正しいのでしょう?
でも、それをなかなか信じることができないから、その確証がほしくていろんなことをして、ときに右往左往するのでしょう?
最後はいつも自分なりの答えを出して、安心して歩を進めるけれど、その答えはいつも最初に提示されたものと同じものだったでしょう?
一見、わざわざ遠回りして疑って、わかりきったことを敢えて検証してその正しさを証明しながら進んでいるようにも見えるけれど。
そんなところもまた愛すべき資質なのかもしれません。
要領の悪い子ほど放っておけないものなのです。
<日本の神様カード 木花之佐久夜毘売 このはなのさくやひめ>