今日の一枚 2017.5.10
今日の一枚。
導かれてやってきたこと、自分の足で歩いてきたこと。
それはどちらも同じことなのだろう。
自分の力の小ささを知り、大いなる導きに引き寄せられてやってきたことに感謝するのは大いに結構。
だが、どのような導きがあったにせよ歩いてきたのは自分自身だろう。
たどり着く前に力尽きるものも少なくはなかっただろう。
導きと守護がたしかにあったのかもしれない。
だが、歩いてきたのは自分自身だ。
その事実は間違いのないものであり、二番目の要因とすべきことではない。
<日本の神託カード 神々の使者鹿>
今日の一枚 2017.5.9
今日の一枚。
隠されたものへの畏怖。
それは隠されているからこそ価値があるものなのではないだろうか。
タネを知ってしまえばなんのことはない。
だが、タネを知ってしまった瞬間から、楽しむこと、驚くことができなくなるのではないだろうか。
そっと神秘のままにしておくほうがよいものもある。
夜の柳の下は怖がりながら足早に通り過ぎるのが粋というもの。
<日本の神託カード 勇敢なキムンカムイ>
今日の一枚 2017.5.8
今日の一枚。
風向きを変えたいだろうか。
しかし、変えたいと思わずともいずれは変わる。
変わらなければよいと願っても、いずれは変わる。
その時々の最善を尽くすために動くしかない。
すべてを自在に扱えるならば、そもそも何もする必要がないのだから。
願ったところでうまく事が運ばないことこそ僥倖。
そう思えばこそ風向きも味方するというもの。
<RIDER-Waite TAROT ソードのクイーン>
今日の一枚 2017.5.7
今日の一枚。
その足元は盤石といえるだろうか。
安心した末の慢心のもとにこそ、足元のゆらぎは現れる。
そこにあるものはいつまでもそこにはない。
手にした栄華もいつかは離れてゆくものなのだから。
ゆらぎは忘れたころにやってくる。
あたりもしない占いを求めてさまよい歩くことの愚かさ。
不吉な真実は信じもしないくせに、あるかないかわからない幸福の予感には期待する。
だからこそすぐそこまできている足元の亀裂にいつまでも気づけない。
必要なのは心配ではない。用心だ。
<RIDER-Waite TAROT 塔>
今日の一枚 2017.5.6
今日の一枚。
終わりははじまり。
はじまりは終わりのはじまり。
必ず節目はやってくるものなのだ。
はじまったままのもの、おわったままのもの、そういう状態を永遠と呼ぶのかもしれない。
しかし、残念ながら、人に永遠はない。
だからこそ、人はそこに光明を感じることもできるのではないだろうか。
終わることは悲しいだろうか、終わりが悲しいならば大いに悲しむがいい。
ただ、その悲しみにも終わりがある。
それだけのことだ。
<RIDER-Waite TAROT 死>