春分過ぎて
人それぞれ1年に感じるサイクルというものがあるのだろうけれど。
自分の場合は、元旦(1月1日)→立春→春分と大まかに辿って、「さて、今年もやりますか」という気分になる。
あくまで自分の場合。
昨年の秋口に鉢植えにしているどんぐりの葉がすべて落ちてしまった。
先端に冬芽らしきものがあるので、雪解けのころにはまた芽が出るだろうと思い、普段通りに水やりなどの世話をしていた。
春分の頃になり、冬芽の中からすこしずつ緑色のものが見えてきた。
こういうのを見せられると、信じていた甲斐があったなぁと思う。
植物を育てるにあたっての個人的な哲学として「期待したり見返りを求めたりしてはいけない」というのがある。
植物は思い通りにならないもので、思うように育たなかったり、手間をかけて世話をしても突然枯れてしまったりするものだから。
これは植物に限った話ではないかもしれないけれど。
人を含めた動物とは意思の疎通ができるような気がしてしまうから、どうしても期待したり見返りを求めたくなったりしてしまう。
なんとなく育てていた伊予柑の種も発芽しそうになっている。
期待せず。
見返りを求めず。
それが今年のテーマなのかもしれない。
今日の一枚 2017.3.24
今日の一枚。
柔軟な力。
強大なものへの服従と忠誠。
力によって服従させ、忠誠を誓わせたのではなく、おのずとその状態になっているだけ。
力には様々な形があることを知っているだろう。
ぶつかり合い、ぶつけ合い、勝敗を決するのもその形の一つ。
また、外力を利用して戦わずして勝つことも形の一つ。
<RIDER-Waite TAROT 力>
今日の一枚 2017.3.22
今日の一枚。
いつの間にか置いて行かれてしまうのではないかという不安。
のけ者にされてしまうのではないかという疑心。
比べて追い越そうとして大切なものを見失わないこと。
他者の器を知ることは己の器を知ることにもつながる。
その逆もまたしかり。
自分には自分のあるべき形があり、他者にはそのありかたがある。
比べる必要はないうえに、比べようがないのだ。
<RIDER-Waite TAROT ワンドの9>
今日の一枚 2017.3.21
今日の一枚。
目に見えるからこそ恐れる。
一歩踏み外せば奈落の底に落ちてしまいそうな綱渡りであろうとも、足元が見えなければなんということはない。
地面から5センチの綱渡りであろうと、地面から500メートルの綱渡りであろうと、足元が見えなければ同じこと。
見てしまうから最悪の結果を想像するのではないか。
何も見えないからこそ強く出ることもできるというもの。
<RIDER-Waite TAROT ソードの8>